Slider

【今注目のイタリアミラノ発のスカート “renacnatta”】 世代を超えて多くの女性達に愛される一枚のスカートはどのようにして生まれたのか?/HI_STORY #2 “renacnatta” 代表 大河内愛加さん

SNSが普及して、約10年が経とうとしている。Facebookに始まり、Twitter、Instagramなどミレニアル世代の若者を中心に今や世代を問わず多くの人々が日常の中で利用している。そんな中、ある時いつものようにTwitterを見ていたときに、ある一つの興味深いツイートが目に飛び込んで来たのだった。

出典:Twitter @aikanium

景観を特に大事にする京都の祇園ではカラーコーンでさえも竹のカバーで景観を害さないようにケアしているというツイートであった。京都に4年間住んでいたことがある筆者も気づかなかったのだが、このカラーコーンのデザインはとても京都の景観に馴染みすぎていて、もしかしたら気づかなかったのかもしれない。さらに、興味深いことにこのツイートは瞬く間に、その後もリツイート数が増え続け、1万以上を超えるリツイート数となり、拡散され続けているのである。

このような日常の中にあった、日本人では気づかない小さな日本の文化の個性や魅力。一体どのような人が気づき、心を動かされてツイートをしたのだろうか?とふと気になり、何気なくこのツイートをしたアカウントを見てみると、そこにはとても美しく、今まで見たこともない魅力的なモノが紹介されていたのであった。

|Prologue 〜序章〜|

「大切なモノのストーリーに光を。」というコンセプトをもとに生まれたインタビュー企画 ”HI_STORY”。第二回目となるHI_STORYは、この一連のツイートをキッカケに発見することができ、出会うことができたファッションブランド “renacnatta” 代表の大河内愛加さん。

「日本とイタリアの生地を裏表に組み合わせたリバーシブル巻きスカート」を展開するブランド“renacnatta”(レナクナッタ)。ひと目見た瞬間に魅了されてしまうほど、今まで見たこともない生地の組み合わせから織りなされたデザインとそのフォルムは、今世代を超えた多くの女性たちを熱狂させている。

「文化を縫う」をコンセプトに生まれた“renacnatta”。一見イタリア語のような珍しい音の響きとともに、文化を縫うという斬新なコンセプトはどのように生まれて、どのような想いが込められているのだろうか?

今回はその“renacnatta”の誕生秘話に迫るべく、その生みの親である大河内愛加さんにお話を伺った。

|1.“renacnatta”(レナクナッタ)とイタリア|

−「“renacnatta”はイタリアの主にヨーロッパハイブランドのデッドストック“使わ「れなっくなった」”高品質な生地、日本の“着ら「れなくなった」”着物の生地を融合させ、新しいものを生み出す、というのがブランドの由来です。」(大河内さん) −

大河内さんのイタリアとの出会いは2006年の15歳の時。父親が以前からイタリアに住むのが夢だったこともあり、大河内さんが高校を進学するタイミングで家族全員で移住することを決めたのであった。

当初、イタリアの生活習慣に馴染めるのか少し不安に感じていたという、大河内さん。言葉の壁や文化の壁は当然あり、最初の数年はやはり、イタリアの環境にどのように馴染んでいけば良いのか悩んでいた。

しかし、時が少し経つと、イタリアの言葉にも慣れて、いつの間にかイタリア語で現地の友人とコミュニケーションが取れるようにまでになり、「日本人であることをいつの間にか全く意識しなくなった」と、当時の状況を大河内さんは振り返る。

−「イタリアの生活にも慣れてきてからは、イタリアの建築や町並み、文化にとても魅了され、このままイタリア人として生きていくのも良いかなと少し思っていました(笑)。」(大河内さん)−

|2. ブランド “renacnatta”を立ち上げるキッカケ|

イタリアでの生活もすっかり馴染み、日本人としての自分をあまり意識することがなくなった大河内さんだが、自身のブランド“renacnatta”では、イタリアの生地だけでなく、日本の着られなくなった着物も取り入れられている。

当時、日本という国から距離を、無意識の内に取っていた大河内さんはどのように現在のブランドを立ち上げるまでに至ったのだろうか?「日本人」としての自分を自覚させた出来事は一体何だったのだろうか?また、どのような過程であのような斬新なスカートは誕生したのだろうか?

−「ブランドを立ち上げようと思った一番最初のキッカケは3.11でした。イタリアで生活していた私は、東日本大震災を遠い離れた海の向こう側でニュースを見て被害の甚大さに愕然としたのを今でも鮮明に覚えています。その時通っていた高校では唯一日本人なのは自分だったのもあり、今自分ができることを何でも良いからしなくては!と思い、校内で義援金活動をしたりしていました。ちょうどその頃を境に、これまであまり意識してこなかった母国である日本という国に対して次第に考えるようになり、今の自分にしかできないコトをやらなくては!と思い始めるようになりました。それが結果的に今の仕事につながっているのだと思います。」(大河内さん)−

震災後、イタリアでフリーランスとしてグラフィックデザインの仕事やアートディレクター、更にはイベントオーガナイザーとしての活動をしていた大河内さん。最終的に自身のブランドを立ち上げたのは2016年の時であった。

−「フリーランスとして様々な仕事してきたのですが、自分のブランドを立ち上げる最終的な転機となったのは、日本とイタリアが国交樹立150周年という年でした。自分もイタリアに住み始めて10年という節目の年だったこともあり、イタリアと日本にあるものを使って、自分にしか生み出すことができないモノを創ってみたいと思ったんです。」(大河内さん)−

Scroll to top