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「世界に誇る薩摩ボタンに新たな命を吹き込み蘇らせた1人の女性の物語」HI_STORY#1 薩摩志史代表絵付け師 室田志保さん

|7. アトリエ「薩摩志史」の誕生|

こうして無事に薩摩ボタンの土台となる生地を焼いてくれる窯元を見つけることができた室田さん。弟子入りして約10年お世話になった窯元を正式に独立し、2005年に自身のアトリエ「薩摩志史」を鹿児島県の垂水市で開設。

独立後は、自身初となる個展を成功させ、芸術家、職人として頭角をすぐに現し始め、2009年に日本釦協会が開催する全国のボタンコンテストで審査員特別賞を見事に獲得。そして、最近では国内だけでなく、海外からの評価も獲得し、シカゴ美術館で展示販売が実現されるなど、名実ともに薩摩ボタンを見事蘇らせることに成功したのであった。

その後も、“世界に誇るべきニッポンの100人”に選出されるなど、雑誌やTVなど多くのメディアに注目されるまでになった、その一方で職人としての冷静な一面を取材の中で見ることができた。

「たくさんのメディアの方達から応援頂き、多くのご注文を受けるようになったのですが、お土産のような大衆向けの作品ではないこともあり、一度に大量に作ることも出来ないので、そこまで広く知られなくてもいいのかなとも思っています。実はお客様の多くがリピーターの方達で、”ここぞ”という時の大切な方のために贈り物として、継続して選ばれるブランドに育っていければと思っています。」(室田さん)

有名になり、一つでも多くのボタンが売れることが目的ではなく、目の前の大切なお客様の思いに真摯に向き合い、一つ一つ真心を込めてボタンをつくることが最も重要であると、職人としての思いを教えてくれたのであった。

|8. 室田さんの「大切なモノ」|

大切なモノの歴史(物語)を紹介するコンセプトのもと誕生した本メディアHI_STORY。室田さんにとって「大切なモノ」は?との質問には「日常」というなんとも意外な答えが返ってきた。

「ボタンを生業にしている以上、日常はおろそかにしたくはないですね。よくピアニストが手を大事にするあまり包丁を握らないなどと言われますが、そういう考え方は好きではないです(笑)。日常を全力で楽しんで、自然を肌で感じて生活するからこそ良いボタンがつくれると思っています。」(室田さん)

この言葉の通り、室田さんの描くボタンにはトンボや蝶、てんとう虫など自然にインスピレーションを得たデザインが多く見受けられる。

|9. 「母」としての顔|

薩摩ボタン復刻までの長い道のりの中で、経験した数々の貴重な歴史の物語を紹介してくれた室田さん。高い壁を乗り越え続け、どんな逆境にも怯まず、まるで薩摩藩士のような逞しい職人としての生き様を見せてくれた一方で、休日の過ごし方について尋ねてみると、飾らない、ありのままの母としての顔がそこにはあった。

「最近は、もっぱら休みの日にはママさんバレーに参加し、試合の中で大いに叫び、試合後の懇親会で大好きなハイボールと白ワインを沢山飲んで、楽しく過ごしています!(笑)。」(室田さん)

室田さん曰く、仕事で神経を集中させて、エネルギーを出し尽くしているため、プライベートでは細かいことは気にせず、全力でリラックスした暮らしぶりになるそうで、良くご友人から「本当にボタン描いているの?」と驚かれるほど。「日常を大切にする」という言葉の通り、オフのときも全力で楽しみ、明るく元気な「母」としての顔がそこにはあった。

|10. 次の時代に見据える新たな挑戦|

今現在、多くの製作依頼が集中し、ボタン依頼してから完成するまでに1年ほどかかるのだが、それでも尚、多くの人々がどんなに時間がかかっても大切な人への贈り物として室田さんがつくるボタンを求めている。

最後に、そんな室田さんが新たな挑戦として、次の時代に見据えていたのが車メーカーであるLEXUSとのコラボ。

出典:https://lexus.jp/brand/new-takumi

『“LEXUS NEW TAKUMI PROJECT”』と題され、全国の地域から推薦された職人である匠の技術とLEXUSをコラボさせる目的で2016年よりスタートした本プロジェクト。

室田さんは本プロジェクトでエンジンボタンを薩摩ボタンで使う企画を提案し、見事に鹿児島県代表として推薦、選出されたのであった。ボタンのデザインに取り入れたのは交通安全の神様と言われている福岡県の宗像大社から着想を得た3人の女神。

企画アイデアは採用されたものの、後に薩摩ボタンの素材が電気を通さないことが明らかになり、残念ながら実現までには至らなかった。

しかし、これまで幾つもの逆境を乗り越えてきた室田さん。当然そこで諦める様子はなく、「どうにかして、電気が通るようにできないか、今いろいろと考えていて、いつか必ず実現させたいと思っています!」と最後まで笑顔で、職人魂を見せてくれたのであった。

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