Slider

「世界に誇る薩摩ボタンに新たな命を吹き込み蘇らせた1人の女性の物語」HI_STORY#1 薩摩志史代表絵付け師 室田志保さん

|5. 薩摩ボタンとの出会いと独立の決意|

弟子入りして、数年経ったある時、室田さんは偶然手にした地元誌の特集で薩摩ボタンを初めて目にした時の様子をこのように振り返る。

「たまたま手にとった雑誌の中で紹介されていた薩摩ボタンの美しさに一瞬で魅了されました。そして、歴史を含めて当時の薩摩ボタンについてもっと詳しく知りたいと思い、すぐさま東京にあるボタン博物館という当時の貴重な手描きの薩摩ボタンが数多く展示されている場所を見つけて、訪れたのを覚えています。」(室田さん)

そして、鹿児島からはるばる東京のボタン博物館まで訪れた室田さんは、薩摩ボタンの魅力に取り憑かれるかのように、当時の博物館の館長に「薩摩ボタンを復刻させたい!」と自分の熱い想いをそのままぶつけたのだった。そこで、その熱意に突き動かされた館長は館内の薩摩ボタンの貴重な図録を室田さんに渡し、「これを使って復刻してください!」と言い、そのまま室田さんは何かに突き動かされるように復刻へと動き出すのであった。

それは、まさに眠っていた薩摩ボタンの歴史が再び目を覚ます瞬間だった。

この時、室田さんにとって、一度途絶えた薩摩ボタンの歴史を知るためにもボタン博物館との出会いはとても特別な意味を持っていた。

『ボタンの博物館』東京都中央区日本橋浜町1-11-8 ザ・パークレックス日本橋浜町2F

そこで、今回は室田さんの熱意に押され、復刻のサポートを今尚もされている『ボタンの博物館』館長の金子泰三さんに当時の様子を特別に振り返ってもらった。

当時の様子を振り返る『ボタンの博物館』 館長 金子 泰三さん

「当館は世界中の貴重なボタンを展示保管しており、年間に約6,000人もの方が来館されます。ずいぶん前のことになりますが、当時の室田さんと初めてお会いした時に、これまでの来館者の中で特に薩摩ボタンに対しての、私に見せた興味、反応がとんでもないほど大きくあったことを鮮明に覚えています。さらに、話をよくよく聞いてみると、手書きの薩摩ボタンを復刻したいとのことで、非常にびっくりしました。ですが、室田さんがその時に見せた薩摩ボタンへのあまりにも強い熱意を目の当たりにし、博物館としても全力で応援していきたいと思いました。」(金子さん)

世界中の貴重なボタンが展示されているボタン博物館
19世紀当時の薩摩ボタン※ボタン博物館展示品
19世紀末当時のジャボニズムの影響を受け、ヨーロッパで製造されたボタン。よく見るとボタンに描かれた人物の顔は西洋人の輪郭をしている。※ボタン博物館展示品

その後、室田さんは次章で触れる復刻までの幾多の困難を乗り越え、図録を頼りにようやく1つのボタンを作り上げ、それを目にした金子さんは、室田さんが描くボタンのミリ単位の精巧さに非常に感銘を受けたのだった。

「通常、西洋のボタン含めて、ただでさえ小さなボタンの上で同じ紋様を繰り返し1周してミリ単位で同じサイズを描くのは至難の業。直線的なデザインがほとんどなのですが、室田さんがすごいのは、そんな難しいデザインを当たり前のように簡単に描いてしまうのです。その技術の支えになっているのが、白薩摩の窯元で鍛えられてきた修行時代にあるのではないでしょうか。」(金子さん)

室田さんが初めて博物館を訪れて以来、その後も、館長の金子さんと室田さんの親交は今尚も続き、その後も共に国内外のイベントを共催するまでに。

ちょうどその頃、雑誌で薩摩ボタンの存在を知った室田さん、弟子入りしてから約8年の年月が経っていた。実は、この頃から頭の中で「独立」を考えはじめていたのであった。

「弟子時代につくっていたのがお茶道具だったのですが、お茶道具自体が下火になりつつあると感じており、一度師匠の方達にも薩摩ボタンも新しく作ってみないか?と提案してみたのですが、なかなか賛同して頂けませんでした。そこで独立し、自分で薩摩ボタンをつくるということであれば、お世話になった窯元の師匠の方々に角が立たない形で実現できるのではないかと思ったのです。」(室田さん)

|6. 薩摩ボタン復刻に立ちはだかる大きな壁たち|

薩摩ボタンを蘇らせるべく、館長から渡された一冊の図録を頼りに独立の道を模索する中、当時の室田さんには幾つもの大きな壁が立ちはだかった。まず、第一の壁としてあったのが、薩摩ボタンで重要な技術の一つである「デッサン力」だった。

「元々、それまで紋様の絵付けを専門にやっていたこともあり、メインのデザインを描く為に必要な構図を捉える力が、実は全くなかったのです。そこで、地元のアトリエ教室に通うことを決心しました。」(室田さん)

室田さんはこの時の様子を平然とした顔で振り返り、長い間修行した技術にすがることなく、薩摩ボタン復刻の為に、また新たなデッサンという修行の道を歩んだのであった。

最終的に、当時通っていたデッサン教室の先生に認められるようになるまでになったのは通い始めてからなんと8年後。とても大変だったけど、楽しかったと室田さんはその時の様子を笑顔で振り返る。

「当時通っていたデッサン教室の先生はダリのようなシュールレアリスムを描く地元で有名な先生でした。いつもやさしく、笑顔で接してくれる方なのですが、デッサンのことになると全く別人のように、ダメなものはダメ、とはっきり指摘される方で、ある時は5時間以上かけて頑張って描いた私の絵をあっという間に消しゴムで消されてしまうことも多々ありました。」(室田さん)

デッサンを描いては消されてを繰り返しながら、諦めることなく、黙々とデッサンの訓練を続け、気がつけば10年もデッサン教室に通い続けていた。

ようやく、デッサンの先生に認められるようになり、ある時、絵画作品の展示会で出展した時に、来場していた人の中で独立するまでをずっと見守ってくれていたお客様から「室田先生!前よりもずっとうまくなっている!」と褒められたことを今でも鮮明に覚えていると室田さんは語る。

デッサンの実力が目に見え始め、ようやく独立に向けて薩摩ボタンを描けるかと思った矢先だった。さらに、追い打ちをかけるように室田さんの前にまたしても大きな壁が立ちはだかったのだ。薩摩ボタンの生地を焼いてくれる窯元が今度はなかなか見つからなかったのであった。文献だけでなく、鹿児島県庁を訪れては、当時のあらゆる情報を集めて、薩摩ボタンの生地を焼いてくれそうな窯元を見つけだし、幾度となく交渉するも、ミリ単位の精度が求められる薩摩ボタンを相手にしてくれるところを見つけ出すのは極めて困難だった。

薩摩ボタンの復刻に向けて、長い修行期間からようやく独立へと新たな一歩を踏めるかと思えば、そこにはデッサン力、そして窯元探しという2つの大きな壁が目の前に立ちはだかった。普通の人であればこの時点で諦めてしまうところを、室田さんは一体どのようにして乗り越えることができたのだろう?

「できないとなった時に、じゃあ、どうしたらできるようになるのか?と考えたくなるのです。前に道がないことが自分にとっては、逆にのびのびとできるので非常にやりやすかったのかもしれません。」(室田さん)

「できないから止める」のではなく、「どうすればできるようになるのか?」という言葉の通り、進化することを止めない室田さんの姿勢は徐々に周りの環境に変化を与え始める。窯元の師匠の方々からの薩摩ボタン復刻に向けた独立への応援の声なども加わり、逆境に屈することなく、ひたすら窯元探しを続けたのであった。

そして後に、幸運にもまるで薩摩ボタンの神様が手を差し伸べるかのように、ボタンの生地を焼いてくれる窯元を見つけだすことに奇跡的に成功したのだった。

Scroll to top